「キャリア教育」問題と子どもの社会化

自分のためのメモです。
瀬戸知也(2007)「『キャリア教育』問題と子どもの社会化―コンストラクティヴィスト・アプローチ―」『宮崎大学教育文化学部紀要 教育科学』第16号,pp.61-71.

1.「キャリア教育」問題を考える視角について

■これまでのキャリア教育(特性要因によるキャリア選択、産業社会における教育観)からコンストラクティヴィスト・アプローチによるキャリア教育への転換

《Patton(2005)の整理》
・教師観
 教師観教授指導実践家としての教師
→キャリア発達のファシリテーター、アドバイザー、ガイド、メンターとしての教師

・学習内容
 情報提供
→学習過程を用いた知識の構築

・学習者の役割
 受動的な受取人
→能動的な参加者、学習の構築者

・学習目標
 あらかじめ設定されている。
→学習者によって決定されるゴールや結果との関連から生みだされるもの
 学習者のニーズが中心。

⇒コンストラクティヴィスト・アプローチによる「キャリア教育」の特徴は過去と現在をつなぎ、未来のプランをうみだす主体的な「キャリア・ナラティヴ」を構築する機会を提供するところにある

《Bujold(2004)の整理》
「ナラティヴとしてのキャリア」に関する議論の整理

・「雇用(employment)」の問題
 「伝統的な特性要因モデルによるキャリア選択」
→「どのようにして人々は、意味があり、生産的で、実現可能なキャリアナラティヴにおける主要登場人物としてキャストされるのか」

・「キャリア」問題に対するコンストラクティヴスト・アプローチの特徴
⇒「人々が、それぞれのライフストーリーにおける『受動者(patients)』から『動作主(agents)』へと変わること」や「人々が自身の人生の
エキスパートであるという考え方」にもとづき、「キャリア選択の奥底にある動機付けの問題に光を当てることができる」ところにメリットがあると指摘。


2.「キャリア・ナラティヴ」の構築という問題

Gibson(2004)の指摘
 ●キャリア・カウンセリングの実践
 ・カテゴリーや役割、職業の観点ではなく、意味(meaning)の観点から自己を理解すること
 ・探知(detection)のプロットではなく、探求(quest)のプロットを基盤とする

 ●「キャリアの著者(author)」への導き/支援
 ・ポイントは「クライエントのストーリーがより厳密な意味で自分自身のものになること」、つまり「キャリアの無境界性が結果する非連続性や断片化に代えて、クライエントがより一貫したパーソナルな職場の意味を開発することができる能力(capacity)を認識すること」


3.「キャリア・ナラティヴ」と子どもの社会化

■「キャリア・ナラティヴ」の獲得と子どもの社会化との関連

●「社会化」…「個人がその所属する社会や集団のメンバーとなっていく過程」(『新教育社会学辞典』)
 ・社会化の過程を捉える視点は、社会化「する」側を前提としたナラティヴとして存在し、社会化「される」側の視点はあくまで従属的な位置にとどまる(瀬戸2005a)。
 ・社会化は1つのナラティヴであり、「社会化」過程には、いわゆる大人たちが管理し運営するナラティヴ(ドミナント・ストーリー)の側面と、
  子どもたち自身が自己定義し自己執行するナラティヴ(オルタナティヴ・ストーリー)の側面という、少なくとも二つの側面がある(瀬戸2005a)。

⇒「キャリア教育」においては子どもの社会化過程における「オルタナティヴ・ストーリー」の生成と展開の過程に関する考察が重要

■Miller(1994)の指摘
 ●子どもの自己構築(self-construction)に関わるストーリーの語られ方
(1)子どもの周囲で語られる物語り(telling stories around the child)
(2)子どもに関して語られる物語り(telling storiesabout the child)
(3)子どもと共に語る物語り(telling stories with the child)

4.「オルタナティヴ・ストーリー」としての「キャリア・ナラティヴ」の構築の可能性をめぐる諸問題

■問題設定
(1) 現在の日本の学校教育における教育思潮の一つを形成している「勤労観」や「職業観」の育成としての「キャリア教育」について考えた場合、
そこにはどのような「ドミナント・ストーリー」が形成されつつあると言えるのか。
(2) 「オルタナティヴ・ストーリー」としての「キャリア・ナラティヴ」の構築の可能性があるとすれば、
それはどのようなものとして具体的にとらえることができるのか。課題は何か。

4-(1)「勤労観」や「職業観」の育成としての「キャリア教育」の位置を確認する
●「キャリア教育」の概念的定義
…「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し, それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」であり,
「児童生徒一人一人の勤労観, 職業観を育てる教育」である(『キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書』)。

…「職業観・勤労観を育む学習プログラムの枠組み(例)」における4つの能力(「人間関係形成能力」「情報活用能力」「将来設計能力」「意志決定能力」) を各学校段階・学年において育成していく(国立教育政策研究所生徒指導研究センター『児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について』)

…「若者が勤労観、職業観を身に付け、明確な目的意識をもって職に就くとともに、
仕事を通じて社会に貢献できるよう、中学校を中心とした5日間以上の職場体験(「キャリア・スタート・ウィーク」)の推進を通じ、キャリア教育の充実などに取り組んできたところです。平成18年度においては、各学校段階を通じた体系的なキャリア教育・職業教育を引き続き進めるとともに、新たに、専修学校や公民館等を活用してニート等を対象とした『学び直し』の機会の提供に取り組むこととしております。」と記載されている(「『若者自立・挑戦プラン』における文部科学省の取組について」)。

4-(2)「オルタナティヴ・ストーリー」としての「キャリア・ナラティヴ」の構築の可能性と課題

1)オルタナティヴな視点について
『キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書』の中で登場する「キャリア」の定義: 「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」

⇒職業社会への参入過程としての「通過儀礼」の視点に立って考え直す必要性

 「通過儀礼」:
・「ある一つの文化集団の構成員がまた別の文化集団の構成員へと移行する過程にみられる儀礼
・「分離」− 「過渡(移行)」− 「再統合」(ジェネップ, A. V. (秋山・彌永訳, 1999))
・「通過儀礼」の中でも特に中間段階である「境界性(liminality)」の意味に注目し、「コムニタス(communitas)」という概念によって、自由で平等な人間同士の結びつきが生まれる可能性を論じている(ターナー, V. W. (冨倉訳, 1996))。
・「教育のみならず、法的なシステムの上からも、あたかも『大人』になることにとってある通過儀礼をくぐることが是非必要であるかのごとく思わせるようなインセンティヴを彼らに与えるのでなくてはならない。これはどのみち一種のフィクションにすぎないと言えば言える。しかしやはり必要なフィクションだと思う。」(小浜逸郎氏『正しい大人化計画―若者が難民化する時代に』ちくま新書、2004年, 147頁)
・「労働経験を味わわせることの必要を『学校教育』の枠組みの内部で満たそうとすると、科目の設定をし、カリキュラムを作り、指導書や教科書を作り、『教育上』好ましくないと思えるやり方は無意識に排除し、ということになる。報酬を与えることなどもおそらく論外として取り除かれてしまうだろう。このように純粋培養された『教科』としての労働など、本当の労働経験ではない。年少者に味わわせる労働経験は『学校教育』とは切り離した時間と空間で行われるのではなくてはならない。」(小浜逸郎,前掲書, 159頁)

2)「キャリア」意識の獲得の物語の再検討
検討の対象:浮谷東次郎『がむしゃら1500キロ』
■2つのエピソードースイカ売りの少女のエピソードと, 映画「南極大陸」観賞後のエピソードを取り上げた理由

1)自らの冒険旅行そのものの意味を問い直し, 消費する者でしかなかった自分に疑問を持ち(「分離」), 視点を変えることにより(「過渡」), 生産する
者としての自分の生き方へと意識を変容させる(「再統合」), という意味で, この冒険旅行が「通過儀礼」としての特徴をもつこと

2)「キャリア教育」が問題にする「勤労観・職業観」の問題として考えてみたときに,それら2つのエピソードは, 「自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」という意味でのキャリア意識の獲得の好例となっているのではないか

■Cochran(1990)の指摘
ナラティヴ・リサーチの2つの種類
(1)人生への忠実さに基礎づけられるストーリーを発展させることに関するもの(ナラティヴの構築)
 課題:「受動者(patient)」ではなく「動作主(agent)」のプロットによって、自分自身の人生を生きるという感覚(sense of agency)を促進すること

(2)ストーリーの中に具体化された意味やプロットや説明をひきだすことに関するもの(ナラティヴの批評)
 課題:「パーティシパント(参与者)」のもつ4つの限界(?自分以外のパースペクティヴの理解を欠く、?ある人の意図のレベルにとどまる、?時間的展望が短い、?結末を見通せない。) に対して、ストーリーを正す者としての“bard(吟遊詩人)のビジョン”あるいは「スペクテイター(見る人)」の役割(spectatorship) の重要性を指摘することができる(pp.74-76)。

⇒2つの方向性がサイクルをなすように進められていくものとしての「キャリア・カウンセリング」(Cochran(1997))。
 …事例より、「パーティシパント」というポジションから「スペクテイター」というポジションへの移行さらに2つのポジション間の往還関係がそれを可能にする

3)「キャリア」問題をめぐる物語の課題
■検討の対象:『ある子供(L’Enfant)』(監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
・「と共に語ること(telling stories with)」を基調とするオルタナティヴ・ストーリーの提示
現代社会における「キャリア」問題をめぐるナラティヴ環境の特徴が、大人の側が支配的ナレーターとして「に関して語ること(telling storiesabout)」をドミナント・ストーリーとするものであること、そして大人の側のナレーションによる作中人物(キャラクター) としての若者のポジションというものをあらためて確認させてくれる。
・映画のプロットにおける「通過儀礼」の構造
…それまでの自明な世界からの‘離脱’, そして試行錯誤の‘過渡’期を経て, やがて他者とのつながりを自ら求める人間という新たなポジションへと‘再統合’されていく

■検討の対象:浮谷東次郎『俺様の宝石さ』
→「自立」への志向、「社会化」過程にある者の「内側からの」報告

⇒「ある子供」との共通性
◎物事の「リミナリティ」や「中間過程」を経験することによって、「動作主」の感覚を獲得するという意味での「探求」のプロットをもったナラティヴの構築

「探求(quest)」のプロットとは、「行為と洞察や人格変容を結びつけ、行為を通じてキャラクターを形成する」ものであり、「既にあるものの覆いをとるという意味
での精神力学が示唆する興味関心としての探知(detection) 」とは区別される(Gibson(2004,p.179.))。